学校日記

私にとっての9月3日午後7時10分6秒?!  9月14日 第239号

公開日
2022/09/14
更新日
2022/09/14

校長室

 昨日ヤクルトの村上宗隆氏が対巨人戦で54号55号のホームランを放ちました。ご存じのように1シーズン最多本塁打を記録した日本人選手の王貞治氏の記録に並んだということです。試合後に神宮球場から出てきた親子にインタビューすると、優勝間近なチームは負けましたが「村上選手のホームランに感動して涙が出ました。最高の日に観戦出来て感激です。」というコメントが発表されていました。
 私は、このニュースを聞いた瞬間45年前の1977年9月3日午後7時10分6秒(今でも暗記している日時分秒!)を思い出しました。世界のホームラン王王貞治選手が756号を放ってハンクアーロン選手を抜き、世界新記録を樹立した瞬間です。当時中学2年生だった野球少年の私は、テレビに釘付けでした。自分も王選手のような強打者になりたいと思いを強くしたのを今でもはっきり覚えています。
 私が野球に興味を持ち出した小学校3年生位の頃は、長嶋選手・張本選手の活躍の終わりの頃で王貞治選手が全盛期でした。バットを買ってもらえなかったので、すり鉢のすりこぎ棒をバット代わりにして、王選手の左打一本足打法を真似ました。そして、仲間を募って田んぼでの「やこてん野球(柔らかいボール使用の野球遊び)」に没頭しました。家が貧しかったのか分かりませんが、玩具は買ってもらえないし、テレビの民放も「北日本放送」と「富山テレビ」しかない時代でしたので、テレビ観戦できる「野球」と「大相撲」と「プロレス」に夢中になった男の子も多かったはずです。私のちょっと前の時代では「巨人・大鵬・卵焼き」という男の子の好物を挙げた言葉が流行しました。中学校に入学すると、同級生の男子生徒110名程の半分ぐらいの人数が野球部の入部を希望しました。当時は、入部テストを実施し十数名に絞られました。
 ヤクルトの村上選手の活躍は、日本中の子供たちに大きな夢を与えてくれていることは間違いないと思います。昨今暗い悲しいニュースが多い中、こんな明るい話を教室や職員室、家庭でも出来ればいいなと思います。

みんながわくわくする学校を「自分から」