学校日記

あなたは光になりなさい 6/12 397号

公開日
2023/06/13
更新日
2023/06/13

校長室

 私が、昔中学校3年生の担任をしていた頃の話です。担任していた生徒の非行がひどく少年院に入院し、約半年後に退院してきた時のことです。当時の校長先生と一緒に少年院にご挨拶に出向いた際に、所長さんから「せっかく遠方から来られたのですから、所内を見学していかれますか?」と尋ねられ「是非お願いします。」と答えました。所員さんの案内にしたがって所内見学をしていると偶然、今入院して来た男の子と出くわし、目が合いました。その子は澄んだ目で私を眺めていたので、「真面目に務めを果たして、早く退院しろよ!」という思いを込めてアイメッセージを送りました。

 最近、たまたま小松崎有美さん作PHP賞受賞作を目にする機会を得ました。教師の在り方を考えさせられるとても印象深い内容だったので紹介します。

 思えば苦しい幼少時代だった。いつだって休み時間は一人ぼっち。「死ね」と書かれたメモもポストに入れられた。その「死ね」という言葉も、学年が上がると今度は「shine」に形を変える。習いたてのアルファベットが言葉でなく「言刃」となる現実。もう耐えられなかった。「お母さん、私、もう学校へ行きたくない」

 母は黙って私を受け入れた。それからというもの、めっきり学校に行かなくなった。家にいても部屋にこもるだけ。誰にも会いたくないし、何もしたくない。母が何か言おうとすると寝たふりをして、父が扉をノックするとラジカセのボリュームを一気にあげた。
それでもポストにはしょっちゅう「死ね」と書かれた手紙が届く。一体誰がこんなことを。私はたまらず手紙を引き裂いた。なんだか心まで引き裂かれる思いだった。

 やがて進級を迎え、担任の先生が変わった。だが先生が変わっても、生徒が変わるわけではない。相変わらずポストには誹謗中傷の手紙が届き、そのたびに管理職の先生と話し合いがもたれた。「もう死にたいです」先生たちを前に私が呟く。途端に母は「そんなこと言うのはやめて」と泣き崩れ、父は「学校はどう責任をとるのか」と声を荒げた。

 話し合いは平行線。そんな重い空気のなか、担任の先生が「学校との繋がりを失わないように補習をしたい」と言い出した。学校に行くのではなく、先生が家に来てくれると言う。私は不思議と嫌ではなかった。

 翌日から先生が補習をしにやって来た。しかし殆ど学校に通えなかった私の英語力は皆無。アルファベットの「J」は「し」になり、「E」も「ヨ」と書く始末。それでも先生は励ましながら教えてくれた。

 先生が来ると思うと宿題のペンが進み、机に向かう気持ちも前に進んだ。ちくしょう、学校に行けなくて悔しいな。そう思いながらも、最後はそんな自分をまるごと肯定できた。

 だけど補習が始まって半年が経つ頃、また「死ね」と書かれたメモが届いた。「先生、もう本当に死にたいです」私はメモを見せるなり、そのまま机に突っ伏した。「先生が守ってあげられなくてごめん」先生も振り絞るように言った。その声は涙で震え、肩を抱く指先もブルブル震えていた。ああ、先生もつらかったんだな。子供ながらにそう感じた。だけど先生は続けた。

 「shineは英語で『輝く』」という意味があるでしょ。あなたには才能があるの。『死ね』なんかに屈しないで輝くの!私がそうさせるの!だから、だから」負けないで。先生は、最後、大きく涙を拭った。

 そして転機は訪れた。私が市内で開かれる弁論大会の登壇者に選ばれたのだ。勿論推薦人は先生だ。

 「あなたの思っていることを、これまで習った英語で強く訴えてみなさい。」その日から猛特訓が始まった。みんなが帰ったあとの教室。そこで担任の先生が原稿をチェックし、ALTの先生と発音を練習した。大会の1週間前には市内のホールを貸し切り、学校内の職員が練習につきあってくれた。人がつながり、思いがつながる。そんな周囲のサポートが私を舞台に押し上げた。I want to eliminate the word “shine”from this world where everyone can shine(この世から死ねという言葉をなくしたい。そして、誰もが輝ける世界に。)

 大会当日。私は壇上で15分間のスピーチを行った。そんな私を先生は客席の隅っこで見舞っていた。薄暗くて、姿はよく分からない。何だかまるで、「私が陰になるからあなたは光になりなさい。」と言っているみたいだった。結果は金賞だった。(途中略)

 この先生の行動から頭が下がる思いと勇気を頂いた思いがしました。学校の諸課題にも粘り強く取り組んでいこうと思います。

みんながわくわくする学校を「自分から」