学校日記

3.11.東日本大震災発生 13年!  3/9 540号

公開日
2024/03/11
更新日
2024/03/11

校長室

 「3.11.東日本大震災」が発生してから13年が経過し、犠牲になられた方々を追悼するために発生時刻の14:46に学校に残っていた4年生以上の子供たちと黙祷をするだけでなく、昼食時間に被災者のメッセージを代読させていただきました。

 「被災者のメッセージ」というのは、20年近く前に一緒に庄西中学校に勤めていた元同僚の渡辺(旧姓上畑)先生に書いてもらったものです。渡辺先生は当時荒れていた学年を隣のクラスで担任を務めてもらい、懸命に立て直しにご尽力していただきました。年度末に、宮城県女川町に嫁がれて暫くして、東日本大震災に遭われて大津波により家や会社すべてを失われました。私と元同僚が中心になって職場内外で義援金を集めたのですが、家や会社の再建の一助になったかどうかは分かりません。メッセージを紹介します。

「東日本大震災から13年目」                宮城県女川町 渡邊宏美  

 私は、13年前、宮城県の女川町という海に面した小さな町に住んでいて、東日本大震災を経験したものです。日常の中ではなかなか当時のことを振り返ったり、考えたりすることがとても少なくなり、日々の生活に追われてしまっていますが、やはり3月11日が近づくと当時の記憶や、ふと歩みを止め、「今」や「自分」と向き合うこと、考えさせられることがとても多くなります。

 私も自宅、会社、倉庫など大津波によってすべて流されてしまいした。そして、女川町でも友人、知人など多くの方々が亡くなりました。被災したすべての人々にそれぞれ想像を絶するおそろしい被災体験がたくさんあります。あの日、すべての選ぶ道が自分たちの「命」にかかわる大切な選択の積み重ねだったのです。逃げるか逃げないかの選択、逃げる場所の選択、逃げる時間の選択、逃げた後の選択など。すべてが「生きる」か「死ぬ」かの選択だったのです。そして、私たち家族は、3月11日のあの日、必死に選んだすべての道が「生きる」ことにつながり、今13年目を迎えます。

 1000年に一度の自然大災害と言われてきた東日本大震災。2024年1月1日、同じことが能登半島で再び起きてしまいました。一瞬ですべてを奪ってしまう地震、津波、自然の威力の大きさ恐ろしさ、こんなことがまた本当に起きてしまったのです。一瞬で変わってしまう「当たり前の日常」、同じような毎日を過ごすことができていることが本当は「奇跡」の連続なのかもしれない。だからこそ、「今」を大切にしていかなきゃと、「今」の自分、家族、友達、まわりのすべての人、すべてのもの、すべてのことを大切に! できるだけ一生懸命、なるべく笑顔、最大限に優しく、そして強く生きていきたいと思っています。

 犠牲になられた皆さんのご冥福をお祈りします。