雑食学習 no.420
- 公開日
- 2022/12/16
- 更新日
- 2022/12/16
校長室より
今日も校舎内では出中生がそれぞれの学習を進めています
1年生のある教室では理科の学習の「光の進み方」について、自分の考えを伝え合っています
2年生のある学級は、多目的スペースでの書写の学習で、互いにアドバイスや感想を伝え合いながら学習を進めています
伝え合いには「愛」があります
見ていて素敵な姿です
好きなことはがんばることができるけれど、嫌いなことは避けがちになるのは、人間ならばよくあることです
そんな時に、がんばっている人を見ることや、誰かから声をかけてもらうことで「がんばろう!」と思える時があります
また、おとなになるにつれて、好き嫌い関係なくいろいろなことにチャレンジすることが増えるようにわたしは感じます
これは、単に必要感からとか、他からの圧によるものではなく、先の未来を想像できるからかと思っています
未来に期待するという言葉の方があっているでしょうか
昔、義務教育における選択教科の導入について、「子供のやる気を大切にするために、学習する教科を選択できるようにすることはよい」といった主旨の意見が多くありました
そんな中、ある学者が、「高校生、大学生ならまだしも、中学生や小学生が自分の好き嫌いで学習内容を決めてよいのか?義務教育の間に、例えば日本文学の古典に触れずにおとなになってよいのか?数学が嫌いだからと数学を学習しなくてよいのか?」と、発言していたテレビ番組を観た記憶があります
わたしが中学生か高校生だった頃であり、将来教師になるなどとは、1000000%以上「ない」と思っていた頃です
それにもかかわらず、この学者の意見は強烈に記憶に残っています
その後、選択教科が中学校にも導入されることとなります
振り返ると、中学・高校・大学と、まったく理解できず、そのために成績もあきれるほど悪かった英語を、おとなになって日常的に使わなくてはならない状況になった時期がありました
また、あれほどつまらないと思っていた歴史が、今はとても興味深く感じます
どちらも、「ああ、もっと若い頃に、本気で根気よく勉強しておけばよかったなぁ」と思います
やはり義務教育では、えり好みせず、広く学習することが大切だと、今は思います
また、いろいろな活動に取り組めばよかったと思います
無理に「好きになれ」とか、「参加せよ」とか、無理強いはできませんが、未来の自分を意識し、何事にも興味をもって取り組めたら素敵だと思います
もしタイムマシンがあれば、ダラダラでボケボケの昔の自分に言いたいことは山ほどあります
「今の積み重ねが未来につながる」
「今を本気で、根気よく、元気に過ごせ!」も、そのひとつです
昔の自分に聞く耳があるかどうかはよく分かっているので、まったくのムダ足かもしれませんが・・・
出中生のみんなはどうでしょう?
学習や活動で、選り好みをしていませんか?
未来の自分のために、手あたり次第目の前のものは何でもバクバクと学習していく
肉食でも草食でもなく、雑食
「雑食学習のすすめ」でした
※no.407との関連記事です