中庭

学校日記 school diary

卵とペンギンと no.321

公開日
2022/07/14
更新日
2022/07/14

校長室より

今日の午後、2年生は生き方講演会で、(公財)富山市民文化事業団 オーバード・ホール プロデューサー 福岡美奈子氏をお招きしました
演題は「舞台の仕事 正解のない世界で、大切にしていること」でした
「挑戦」「創造」「輪(出会い)」「がむしゃら」を大切にして活動されている福岡氏の生き方・考え方は、わたしにとってとても魅力的でした

講演を拝聴し、その後校長室でもお話を伺い、福岡氏の生き方から、とあるペンギンを連想しました


以下の文章は1565年に出版された「新世界史」(ジローラモ・ベンゾーニ著(イタリア))からの引用です

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コロンブスは大勢のスペイン貴族とのパーティーに参加したが、お決まりのようにインド(※西インド諸島のこと)の発見が話題となった
一人の貴族が
「もし貴方がインドを発見できなかったとしても、他の誰かが発見していただろう。
我がスペインには天地学と文学に優れた偉大な男が大勢いるのだから。」
と言った
コロンブスはこれに何の反論もせず、ただ「卵を持ってきてほしい」と頼んだ
それをテーブルの上に置いて
「紳士諸君、賭けをしましょう。
貴方がたは誰も、素手で何も使うことなしにこの卵を私の望むように立てることはできないでしょう。」
と言った
貴族達はみな試してみたが、誰も立てることはできなかった
コロンブスは手元に戻ってきた卵をテーブルに打ち付け、片端を少し平らに潰して立ててみせた
貴族達は困惑しながらも、コロンブスが言わんとしていることを理解した
すなわち、物事が為されたあとは、誰でもその方法を知っている
最初にインドを探し当てたコロンブスを嗤(わら)う前に、先に自分がそうすべきだったのだと
彼らはその難しさに気付き、しばらく笑っていた
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この逸話が「コロンブスの卵」という言葉の由来だという説があります(※諸説あり)
「コロンブスの卵」は、独創性や先駆者に対してよく使われます
最初にそれを思い付く「誰か」がいない限り、よりよいアイデアが見過ごされる可能性があることを教えています


似たような言葉に、「ファースト・ペンギン」があります
生きるために集団行動を常とするペンギンですが、彼らの群れには特定のリーダーはいません
群れに危険が迫れば、そのことに気付いた「1羽」のペンギンが逃げ、その後をまわりのペンギンが追うことで、その危険を回避します
集団行動をとる猿のように、強いボスやリーダーではなく、「最初の1羽」が彼らの安全を確保しています
これは、エサをとる時も同じです
群れの中の誰かが海に入るまでは、みんな氷上にとどまって動きません
そのとき、「最初の1羽」が飛び込めば、怒濤のようにまわりのペンギンが次々と海に飛び込みます
海の中にはシャチ、トド、オットセイなどの天敵がいるかもしれません
特にペンギンを好むヒョウアザラシなどは、海の中でエサをとるために飛び込んでくるところを待ち伏せしていることがあります
そんな危険を顧みず、真っ先に飛び込んだペンギンは、身をもってその海が安全であると仲間に示すと同時に、誰よりも早くお腹いっぱいになりうるチャンスを得ます
このペンギンの習性から、ハイリスク・ハイリターンが伴う、ベンチャー企業の創業者や起業家が、この「最初の1羽」を「ファースト・ペンギン」と呼び、そうあろうとしている話をよく聞きます
ちょっと古いですがNHKの朝ドラ「あさが来た」で、波瑠氏が演じた主人公「白岡あさ」のことを、ディーン・フジオカ氏が演じる「五代友厚」が「ファースト・ペンギン」と言っていました


誰もコロンブスにはなれませんし、みんながみんなファースト・ペンギンになることはありません
福岡氏にもなれませんが、福岡氏のような生き方があることを知ることは、大事だと思います
講演後も校長室でお話しを伺い、わたしはより刺激をいただきました
出中生も今日の講演会を振り返り、自分たちの未来への原動力になったならばと願っています
誰もがみんな、自分の人生を決めるのは、自分自身です
どのように生きるのかは、人に決めてもらうものではありません