中庭

学校日記 school diary

第47号 愛のかたち

公開日
2021/06/01
更新日
2021/06/01

校長室より

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昨日の壮行会。
応援団が各部の代表を前に、本気でエールを送りました。
全校生徒を背負っての応援ではありませんが、それぞれの教室から出中全生徒がエールを送りました。
体育館からは、遠くで手拍子をする音が聞こえました。
それがまた、何とも言えずうれしくなります。

愛を目では見ることができませんが、愛のかたちは見えたり、聞こえたリするようです。

応援団が仲間を激励する姿、全校生徒が仲間を激励する手拍子、体育館での様子を教室で視聴する全校生徒へ中継する姿など、すべては愛のかたちです。

朝、生徒が登校する前の教室を回ります。
朝の教室は、この年になっても緊張感を覚えます。
今はもう担任ではないにもかかわらず、緊張するのが不思議です。
教室の黒板には、担任の愛のかたちが見られます(写真2段以下)。

担任のメッセージは、ひとつの愛のかたちです。
それが手書きであろうが、印刷物であろうが関係ないとわたしは思っています(※若かりし頃、デジタルで通知表を書くのは愛がないと言われたことがありますが、わたしは疑問に感じていました。)。
また、学級によっては、総務が書いているところもあります。
担任の指導があってのことですから、これも愛のかたちでしょう。


かつて、尊敬する大先生から教えていただいた話が、頭から離れません。

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ヒロセよ、教育とは何か分かるか。
欧米で言う、「education」は「引き出す」という意味からきている。
日本で言う、「教える」は愛惜しむの「ヲシ(愛惜)」に接尾辞の「へ」がついたもので、愛おしい心で相手を見て導くことだ。
つまり、日本で「教える(教育)」は、教える側の心の持ちようだ。
だから、欧米での指導力不足とは、子供の力を引き出せないことであり、日本での指導力不足とは、愛がないということだぞ。
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教室の黒板の写真を掲載しましたが、これはあくまで今朝のものであることと、毎朝黒板でメッセージを発信するのは愛のひとつのかたちであり、本校の教師は様々な形で生徒に愛を送り続けていることを補足しておきます。

愛おしい心で生徒を導けているのか。

時折、自分自身が確認することばでもあります。