「東日本大震災から12年目」 3/8 341号
- 公開日
- 2023/03/08
- 更新日
- 2023/03/08
校長室
私の元同僚の渡邊さんから今朝、手記が届きましたのでご紹介します。
私は、12年前、宮城県の女川町という海に面した小さな町に住んでいて、東日本大震災を経験した者です。日常の中ではなかなか当時のことを振り返ったり、考えたりすることがとても少なくなり、日々の生活に追われてしまっていますが、やはり3月11日が近づくと当時の記憶や、ふと歩みを止め、「今」や「自分」と向き合うこと、考えさせられることが多くなります。
私も自宅、会社、倉庫など大津波によってすべて流されてしまいした。そして、女川町でも友人、知人など多くの方々が亡くなりました。被災したすべての人々にそれぞれ想像を絶するおそろしい被災体験がたくさんあります。あの日、すべての選ぶ道が自分たちの「命」にかかわる大切な選択の積み重ねだったのです。逃げるか逃げないかの選択、逃げる場所の選択、逃げる時間の選択、逃げた後の選択など・・・すべてが「生きる」か「死ぬ」かの選択だったのです。
そして、私たち家族は、3月11日のあの日、必死に選んだすべての道が「生きる」ことにつながり、今12年目を迎えます。
一瞬で変わってしまう「当たり前の日常」、同じような毎日を過ごすことができていることが本当は「奇跡」の連続なのかもしれない。だからこそ、「今」を大切にしていかなきゃと、今朝もドタバタあわただしい時間を過ごしてしまった自分に言い聞かせています。(宮城県女川町 渡邊宏美)
この方は、会社を経営されるご主人と結婚を機に、女川にお住まいをされその直後に被災されました。従業員の中には、家族を失った方がたくさんおられて自分だけ家族全員が無事でよいのかずいぶん思い悩まれました。
手記の中にもあるように、「生きること」を大切にしてこられた力強い意志が平和ボケした自分たちに警鐘を鳴らしていただいているように思います。この東日本大震災の被災者の思いを絶対に風化させてはいけないと改めて思いました。