学校日記

帰還困難区域その1  3/7 340号

公開日
2023/03/08
更新日
2023/03/08

校長室

 今年も12回目の3.11(東日本大震災)が近付いています。各テレビ局で東日本大震災で家族を亡くされた方のドキュメント番組が報道されています。最近私が見たのは、宮城県女川地域に住み、奥さんが津波で流されて行方不明のままの番組。月1回の消防や警察などの捜索もただ見ているだけ。それでは、居たたまれなくなり、自ら潜水士の資格を取り毎週海に潜って奥さんの遺体を探し続ける旦那さんの取組を知りました。

 知り合いにも女川町で被災した人がおりますので、明日その手記をご紹介したいと思います。今日は、昨日報道されたNHK番組「クローズアップ現代」で 桑子真帆キャスターが取材した一部(前編)を紹介します。

 東北の中心都市・宮城県仙台市から車で約2時間。福島県の沿岸部に位置する双葉町に入りました。これまで毎年のように被災地取材に訪れていましたが、双葉町を訪れるのは今回が初めてでした。

 インターチェンジから町の中心部へとつながる一本道を走っていると、左右に次々とあらわれたのは、通行禁止のバリケードと「この先、帰還困難区域」と書かれた看板。いま走っている道は車で通行できているのに、そのすぐそばに、12年たってもまだ立ち入れないところがこんなにもあるという現実を突きつけられました。

 2011年3月11日に起きた東日本大震災と、追い打ちをかけるように発生した原発事故によって双葉町の姿は一変しました。

 福島第一原発が町の東部に立地する双葉町は、町の面積の96%にも及ぶ土地が「帰還困難区域」に指定されました。全町民7000人が避難を余儀なくされ、人影のまったくない町へと姿を変えました。

 「最も帰還が難しい町」ともいわれた双葉町。被災した自治体の中で最も遅い11年5か月が過ぎた去年の8月30日、ようやく本格的な帰還に向けて町の一部で避難指示が解除されました。

 避難指示が解除されてから、およそ半年が経った3月上旬。町を歩いてみると、あちらこちらで解体工事が行われ、更地になったところも多く見られました。
 
 これまで立ち入れなかった土地で、ようやく始まった解体工事。一方で、新たに建築中の建物もありました。この場所には、“破壊”と“創造”が同時に存在していました。
(途中略)ここまでが桑子キャスターの報告です。

 復興庁と福島県、被災自治体が定期的に実施している住民意向調査で、帰還に必要な条件を複数回答で尋ねると「医療・介護施設」「商業施設」再開が、充実が1位と2位でほぼ固定化しているようです。双葉町今年2月、JR双葉町前に診療所を開所。拠点内で営業する唯一の診療所ですが、診療は週3日で内科のみ。また、町に日用品を買える商店はなく、まだまだ生活を再開するハードルは高そうです。

みんながわくわくする学校を「自分から」