中村哲氏の死去から3年!アフガンで暮らす65万人の自給自足支える 12/21 300号
- 公開日
- 2022/12/22
- 更新日
- 2022/12/22
校長室
福岡市出身の医師・中村哲。アフガニスタンで人道支援に尽力し、2019年12月4日、現地で凶弾に倒れこの世を去られました。
「百の診療所より一本の用水路を」の言葉を心に刻み、15年以上もの間、用水路建設に従事し続けられました。中村医師は、干ばつに見舞われたアフガニスタンの地で、医師でありながら白衣ではなく作業着を身にまとい、人道支援活動に尽力しておられました。
中村氏は、昆虫への思いが熱く、もともと医学部から昆虫学のある農学部への転学を希望しておられたようです。山岳会の遠征隊に参加する等して虫を追いかけたようです。そして、美しい蝶が生息するアフガニスタンの山岳地帯へ行き、そこから不思議な縁が繋がっていきます。その後国際医療協力に参加することになり、ペシャワールの病院に勤務することになります。
内戦が続く中、辺境地域の診療所には十分な医療器具もありません。ここで、アイデア勝負のさまざまな工夫をしていくことになります。例えば、ハンセン病患者の足がすぐ傷だらけになるのを防ぐため、病棟内にサンダルの工房を設けます。そして、大干ばつに見舞われた2000年、もう病気治療どころではないということになり、村人を集めて井戸を掘り始めます。それは日に日に大掛かりなものとなり、地域の灌漑事業を先導していくようになりました。
中村氏の著書「天、共にあり」から見てみますと、高潔な精神に燃えて突き進んできたというわけでもないようです。その時々の自分の興味や関心に正直に生き、巡り合った人や地域との出会いを大切にしてこられたようです。自分が任された任務を使命にまで高め、それを全うするために必要なことを一つずつ築き上げてこられました。
中村氏の生き方から、予測困難な時代を生き抜く子供たちに身に付けさせたい資質・能力のヒントが見えてくるような気がします。中村氏のご冥福をお祈りします。