阪神淡路大震災から29年 1/17 504号
- 公開日
- 2024/01/18
- 更新日
- 2024/01/18
校長室
今朝、阪神淡路大震災から29年が経過しました。1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生ました。
近畿圏の広域が大きな被害を受けました。特に震源に近い神戸市の市街地(東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、近代都市での災害として日本国内のみならず、世界中に衝撃を与えました。犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものでした。
同年7月25日、激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律に基づく激甚災害に指定されました。
震災発生当時、私は31歳で我が家の寝室のベッドで就寝中でした。横揺れが始まり、本棚の高い箇所に置かれていた本が次々と落下しました。「地震だ!震源は能登半島かな?」と思いました。すぐにテレビをつけて、被害状況を確かめると、阪神淡路地方が震源だったと分かりました。
この年の選抜高校野球観戦のために兵庫県の西宮市にある甲子園球場を訪れました。この球場は阪神高速道路の真横にあります。その高速道路の1本足の橋脚は、はるかかなたまで倒されていました。高速道路の真下を並行して国道2号線が走っているので、高速道路は1本足だったことが予想されます。地震の怖さを目の当たりにしました。しかし、翌年の春に同じように訪れると阪神高速道路はすべて復興していました。変わったのは、橋脚が2本足に変わったということです。これまた、復興の速さに驚きました。阪神高速道路は、日本の動脈の役割を果たしていたことが影響したかもしれません。
私事になりますが、長男の結婚を機に今年自宅の建て替えを予定しています。ハウスメーカーを訪れて、最近の家屋の耐震構造の実験を見学してきました。旧耐震基準では、震度5の地震でも建物が倒壊したり崩壊しないことが基準になっていましたが、新耐震基準では震度5強の地震で家屋が損傷せず、さらに震度6強から7程度でも倒壊または崩壊しないことが基準になったことを知りました。
我が家は、たまたま建て替えを予定していましたが、周辺には古い家屋が殆どです。もしもに備えて、避難器具を整えておきたいものです。