バラックでもいいからここに住む! 1/11 500号
- 公開日
- 2024/01/11
- 更新日
- 2024/01/11
校長室
「令和6年能登半島地震」の関連で、今朝の富山新聞に思わず目が留まる輪島塗の元職人、由野(よしの)順三(83)さんの記事が載っていました。
(途中略)1日、自室でこたつに入り、テレビを見ていた由野さん。1回目の揺れに驚いて立ち上がった。そこに2回目の揺れ。「あっ」と思ったときは崩れたがれきに左足を挟まれ、身動きが取れなくなった。
もうだめかと思ったが「助けてくれ」との叫びを聞きつけた人たちが、がれきをどかして、運び出してくれた。17年前の能登半島地震に耐えた家は、外壁が落ち、土蔵は潰れた。窓ガラスや家財道具も散乱。自慢だった庭の石灯籠は倒れてばらばらになった。
1人暮らしの由野さんにとって家や土蔵に保管していた漆器は宝だった。がれきの中からは、黒漆のお膳の足だけが見える。生きてきた証を失った由野さんだが、同時に助け出してくれた人たちへの感謝の気持ちが募る。「しゃばの空気を吸って命がある。感謝せな。助けてもらったことは忘れん。」
1人での片付けは、いつ終わるか見通せない。それでも由野さんは、「輪島が好きなんや。バラック(ほったて小屋)でもいいから、ここに住む。そんな時は、石灯籠も直すから立ち寄ってよ。」止まない雨に体が冷えたが、胸の中は温かくなった。(途中略)
この記事を読んだ私は、由野さんの生きる強さを痛感したと同時に23年前に高校1年生で病死した姪のことを思い出しました。姪は、白血病に似た病気で完治には骨髄移植しかないと主治医に告げられていました。しかし、冬季に風邪をこじらせたために、骨髄移植手術をする体力が回復する前に命を落としました。
姪と母(私の姉)の最後の会話です。「お母さん、私死にたくない。だって、将来ハーブ園を営む夢があって、まだ叶えてないもん。」「そんなに死ぬのが嫌なら一緒に天国を行ってあげようか。」「お母さん、そんなこと言われたって全然嬉しくない。だってお母さんは40年以上生きたじゃない。不公平じゃん・・・。」姉は、返す言葉もなかったようです。
私は、この体験を教え子に道徳の時間等で話してきました。「人間命さえあれば何とでもなる。夢を叶えるために努力しようよ。」これが、教え子たちに伝えてきた内容です。
由野さんからもらった生きる勇気を励みに、子供たちのために頑張っていきたいと思います。