特別の no.772
- 公開日
- 2024/06/04
- 更新日
- 2024/09/10
校長室より
昨日の貝塚市立西小学校 川﨑 雅也 校長先生をお迎えしての研修会
本日の西部教育事務所主任指導主事 前橋先生をお迎えしての研修会
学びに終わりはないことを再認識します
GIGAスクール構想により一人1台端末の活用が始まり、主体的・対話的で深い学びの視点からの授業改善が進められています
生徒たちが「何を学ぶか」だけでなく、「どのように学ぶか」も重視されており、具体的には、次の3つの要素が意識されています
1 主体的な学び
自分自身で学びの方向を決め、自分の興味や目標に基づいて学習する能力を育てます
単なる知識を受動的に身に付けるのではなく、主体的に問題を解決し、自分の考えを形成し、主張するプロセスです
2 対話的な学び
他者とコミュニケーションを取りながら学び、異なる視点・意見を尊重しつつ共同で知識を構築します
対話を通じて深い理解が生まれ、協力や共感のスキルも養われます
3 深い学び
表面的な知識だけでなく、深い理解や洞察を得ます
問題解決や批判的思考、創造性を伴う学習を重視します
中学校は教科担任制です
教科の特性があり、その指導にもそれぞれ特徴がありますが、基盤の部分は共通すると思っています
特別の教科「道徳」(以下、道徳科)は、その基盤の部分が、教科担任の違いを越えて共に研修できるものとも思っています
「対話的な学び」を、ただ表面上のみでとらえていたとすればそれは違います
いみじくも、昨日の川崎校長先生の話にも「対話」について登場しました
道徳科の授業における対話とは何か? 川﨑 校長先生は4つの対話が重要であることを示されました
1、資料との対話
読み物資料の中に登場する人物の生き方と対話すること
2、人との対話(生徒同士の対話)
生徒同士の対話により、多様な思いや考えに触れること
道徳科の授業が、ここで終わっていることはないかと、わたしも感じます
大切なことはこの先です
3、教師との対話
主題(本時のねらい)に迫るために、教師と生徒が対話すること
生徒の意見を受容し、問い返すことで深めていく
主題(本時のねらい)に迫っていく
これが、指導者の中で意識されているか?
4、自己との対話
振り返りにおいて、自分自身と対話する
4について、川﨑 校長先生は振り返りでの考えは自分自身のものであり、学級全体に広める必要はあるのかと提起されました
とにもかくにも、3、4なくして、深い学びは期待できないとわたしも思います
十数年前にある大学の教授が紹介された生徒主体で学ぶ授業について、活動はあり生徒たちは充実感を味わっているようだが、学びはどうなのだろうか?と思ったことがいまだにわたしの記憶に強く残っています
「不易と流行」は、よく教育界で使われる言葉です
時代に応じて変えるものは変える必要がありますが、人間のよりよい成長に関して、本質的に変えてはいけないものもあるということでしょう
道徳科の授業だけでなく、教育全体について、我々はよく考える必要があります
「読み・書き・そろばん」→ 学びの基礎
「なくならない学校という存在」→ 学校の役割
「発達段階における指導のタイミング」→ 啐啄同時
等々・・・・
考えることに終わりはありません
前回も書きましたが、死ぬまで学ぶ続けるのが人間でしょうな
脱皮しない蛇は滅びる
余談
校長室前掲示板の掲示物を、「脱皮しない蛇は滅びる」の言葉と、脱皮した蛇の皮に変更しようとしたら、数名の教職員が蛇の皮に対して強い拒否感を示したので断念しました・・・