特別の教科 道徳 no.924
- 公開日
- 2025/01/30
- 更新日
- 2025/01/30
校長室より
本日、今年度新規採用者の道徳科の授業を参観しました
資料は「足袋の季節」というお話
若かりし頃に貧しい環境で育ち、おばの家で苦労しながら生活していた主人公
ある日、おばが世話してくれた郵便局の上役から十銭玉を預かり、大福もち売りのおばあさんのところへ大福もちを買いに行くように頼まれる
おばあさんは「五十銭だったね」と受け取ったお金とは違う額を主人公に尋ね、主人公は「うん」と答えてしまう
おばあさんは主人公をちらっと見て、「ふんばりなさいよ」とひとこと言って四十銭を渡す
逃げるようにその場を去った主人公
自責の念と、自分のためにわざと多くおつりをくれたという甘い考えとの間で、日夜胸を苦しめる
その後、試験に合格して大きな郵便局で働くことになった
そこの初任給を握りしめ、お土産を持っておばあさんの訪ねるが、既におばあさんは亡くなっていた
死というものがこんなに絶対なものかと強く感じつつ、川の橋の上で泣きつづける
今となっては、ただただ後悔の念を深くするばかりであり、今度は誰かにおばあさんがくれた心を差し上げようと思う主人公だった
という、お話
担任時代に何度かこの資料を使って授業をしましたが、いまだに主人公の心がよく分からず、生徒と一緒に考えた資料です
過ちや失敗に気付いて逃げ出したいと思う気持ちはよく分かります
主人公がその後、大福もちを買いに行ってほしいと頼まれても、同僚に頼んで決して行かなかった気持ちもよく分かります
主人公が試験に合格して、おばあさんに謝りに行こうとしたのはなぜか
謝って自分がすっきりしたかっただけではと考えます
「ふんばったね」と、褒めてほしかったのではとも思います
しかし、おばあさんの死によってそれは叶わず、主人公は死ぬまで苦しい思いを背負うこととなります
ただただ後悔の念を深くするという気持ちも、分かる気がします
おばあさんの「死」を知って、無性に自分に腹が立った主人公の心は何でしょう?
その心には、自分のことしか考えていなかったこともあるのでしょうか?
生徒の意見を聴きながら、「ああ、そういう心もあるかもしれないなぁ」と新たな気付きになる場面も多かったです
「足袋の季節」は自分にとって生徒と共に、主人公の心を考える時間でした
道徳科の授業では、価値観を押し付けられるものではなく、他の考えも参考にしつつ、自分自身の生き方を深く考える時間だとわたしは思っています
自分自身の機嫌を取るのは自分自身であり、自分自身のをつくりあげるのも自分自身でしょう
自分の人生を歩むのは自分ですから
「俺の敵は、だいたい俺です。夢を散々邪魔して、足を引っぱり続けたのは、結局俺でした」と、漫画「宇宙兄弟」の主人公、南波六太は言いました
いろいろあるこの世の中
未来が予測できないこの世の中
少なくても自分は自分の味方であってほしいと、わたしは出中生に伝えたいです
今日の授業での出中生の様子を観ながら、また、いろいろと考えさせられました