縁の下 no.722
- 公開日
- 2024/03/19
- 更新日
- 2024/03/19
校長室より
朝の会前、生徒会室で執行部のメンバーがせっせと活動しています
今は、新年度の生徒会テーマの決定に向けて準備しているようです
こういうことを生徒会員は気付いてほしいなと思います
だからこそ、ここで紹介しているのですが、メンバーの活動する姿をありがたいと思い、応援します
そんなメンバーの姿を見て「縁の下の力持ち」という言葉が頭に浮かびましたが、ちょっと待った!!
この言葉には注意が必要です
そのことを確認するために、ふたつの国語辞典を調べてみます
えんの・した【縁の下】
−の力持ち 人のために努力・苦労しても、認められないこと。転じて、人に知られないが、陰で努力・苦労すること。また、その人。縁の下の舞。
−の・まい【縁の下の舞】(一説に、垣下の舞から)他人のために苦労をするものの、認められないこと。無駄な骨折り。
※新村出編 広辞苑 第7版(岩村書店)p354より
えん-の-した【縁の下・掾の下】
えんのしたの 力持(ちからも)ち 人に知られないで、陰で苦労、努力することのたとえ。他人のために骨折るばかりで、世の中に認めれらないこと。また、その人。*浮・小児養育気質(1773)二「数の多き事故進物遺ふて間違えばゑんの下の力もち」
※精選版 日本国語大辞典1 あ▷こ(小学館)p676より
よく読むと、少し言葉のイメージが変わりませんか?
日本国語大辞典では、「進物を間違えて贈ると無駄になる」という例文が紹介されています
何とも、ネガティブな使い方です
現在多くの人が持っているであろう、この言葉のイメージは、ポジティブなものではないでしょうか
本来の意味がどうであれ、メンバーを見て浮かんだ言葉はポジティブな意味です
ネガティブなのは、「誰も見ていないところで頑張っても意味がない」と読み取れる文章だからで、朝、わたしが生徒会室で見たメンバーの姿とは合致しません
まあまあ生きてきたわたしの人生の中で、見られていないから無駄なんて経験はないです
誰も見ていないとしても自分自身は必ず見ています
誰も見ていないなら手を抜こうとか、ずるしようとか、そんな自分を信じられるかということです
昔の人は言いました
「お天道様が見てござる」
うまい表現だとわたしは思います
よりよく生きるということは、誰かに見られているからではないのです
よりよく生きることは、自分自身が納得できる生き方だと思います
これは「自分の機嫌は自分でとる」ことに通じていますかな
また出中生の姿に多くのことを学ばせてもらいます
ありがとう
あれ?
そもそも出中生は「縁の下」って理解できるでしょうか?
見たことはあるのでしょうか?