中庭

学校日記 school diary

型にはめる no.411

公開日
2022/12/05
更新日
2022/12/05

校長室より

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本日、今年度2回目の避難訓練を実施しました
多くの命を預かる本校において、全員の安全・安心を確保するための、「型にはめる」訓練です

「型にはめる」という表現から、ネガティブな印象を受ける方がおられるかもしれません
「人権侵害」「個性をつぶす」等と感じられる方がおられるかもしれません

避難訓練の場合、わたしはそう考えません
それは、わたしが少し武道をかじっていたからかもしれません

日本の武道や芸術に関わり、「守破離(しゅはり)」という言葉に出会った方は多いでしょう (※顧問として剣道部で発行した部活動通信や、担任時代の学級通信に、「守破離」と名付けていたこともありました)

デジタル大辞泉では、次のように解説されています。
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しゅ‐は‐り【守破離】
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの
」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階
」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階
」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階
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今は亡き、18代 中村勘三郎(歌舞伎役者)氏が、心に残る言葉として、TBSラジオのこどもでんわ相談室への質問に対する、無着 成恭 氏の回答をあげたことを思い出します

質問に対して、無着 成恭 先生は、
基礎がしっかり出来ていて、
そのうえで型やしがらみを打ち破ることが型破りで、
基礎も何にも出来ていないのに、
あれこれとやることを形無しと言うんだよ
と言われたんです(故 18代 中村勘三郎 氏 談)

「守」「破」の段階を経て「離」の段階に達する境地が「型破り」であり、「守」「破」の段階で勝手に我流で進めることは「形無し」ということでしょうか

地道に根気よく、基礎的なことをひたすら繰り返すことは、単調だと感じたり、やり方が古いと感じたりと、結構しんどいことです
そんな時、「自分は理由を付けて逃げようしているだけではないか?」と、考えることは、未来へ向かうためには大切だと思っています

最近は、けが等に悩まされているテニスの 錦織 圭 選手
彼は2014年全米オープン男子シングルスの準優勝者であり、アジア男子史上初のグランドスラム シングルス ファイナリストという実力者です
世界ランキング トップ10目前で、なかなかその壁を突破できずにいた彼をファイナリストにした一人がマイケル・チャン コーチです
チャン コーチは、壁に阻まれていた錦織 選手に、徹底的な基礎練習をさせました
練習中にできるプレーと、激戦が2週間も続くグランドスラムの中で体力の限界に近い状態でも発揮できるプレーとは、別物だという考えたからです
試合で通用するレベルを身に付け、へとへとに疲れても自信をもってプレーできるようにするためには、プロ選手でも基礎練習の反復が必要なのです
※基礎練習と言っても、我々の考えるレベルとは違うでしょうが・・・

今年度2回目の避難訓練
冒頭に書いたように、これは「型にはめる」基礎訓練です
緊急時に冷静になれるとか、勝手に身体が動くとか、型通りに確実に動けるようになることが大切です
非常時への備えは、スポーツで言うところの素振りです
実戦をイメージしての素振りと、何も考えない素振りとが違うように、もしもの備えとして、避難訓練に取り組むことが大切です
決して「空振り」ではなく、「素振り」なのです

このことは学習や仕事にもつながるでしょう
効率よく成果を出したい気持ちは誰にでもありますが、より大きな成果を目指すには、強固な基盤の上に大きな建造物を建てることと同様、「形無し」ではなく「型破り」を意識したいと思うのです
そんなことを思わせてくれた、今日の避難訓練でした

蛇足
東日本大震災で起こった「大川小学校の悲劇」は、決して「型にはまった」対応だったからではないとわたしは考えています
結果論になりますが、状況に応じて考える部分は大切であり、そこは「型破り」です
最初からマニュアルも計画もないものは、「形無し」だと考えます