中庭

学校日記 school diary

言われることのありがたさ no.387

公開日
2022/10/28
更新日
2022/10/28

校長室より

授業の様子を観て回っていると、1年生の英語の学習で、ペアになりカードを使って英語で質疑応答する場面がありました
その中には、英語の使い方の誤りを伝え合う場面もあります
一人では気付かないことに気付くことができる、生徒同士での貴重な学びの活動です

他人から「言われる」ことは大切だよなぁと思いながら職員室に戻ると、机上にさりげなく付箋のメモが貼ってありました
折られていて外から書かれた内容が見えないように心遣いされたメモです
手に取って、そっと開いてみました

「校長先生へ 「河馬」はフグでなく、「カバ」です」

あああ!!!
また、間違えたものを世に出していました

これは、校長室前に掲示した、出中生へのメッセージの最新版についての指摘です
今回の掲示は「難解漢字」
その初級編で、「河馬」を出題したのですが、その答えが「フグ」になっていました・・・
恥ずかしいかぎり・・・

このように、言ってもらえることはありがたいことです
すぐに直しました


このホームページの「校長室より」にもよく誤字・脱字があります
勢いで書いて、勢いで更新しているので、日本語としておかしな文章の時もあります
※いつもか・・・・
確実に校正したものを公開すべきなのですが・・・
そんなとき、誤りを指摘してくれる人がいます
ありがたいことです

担任をしていたころ、学級通信の誤字・脱字を必死に探して教えてくれた○○さんを思い出します
○○さん曰く、「先生は必ずどこかに誤字・脱字があるから」
なかなかに厳しい言葉なのですが、ある意味事実なので、○○さんには校正係としてその後も活躍してもらいました
間違いがあると嬉しそうな顔をしてやってくる○○さんの顔がはっきりと思い出されます
※○○さんは大学卒業後、銀行員になりました

自分のミスを棚に上げて言うのもおかしな話ですが、「ここはおかしいですよ」と言っていただけることは、とても幸せです
「どうせ言っても無駄」と思われたらおしまいです
これは、「叱られる」ということとつながるでしょう
この歳になると正面から叱ってくれる人は貴重です
いくつになっても未熟な部分のあるわたしにとって、とてもありがたいのです

若いころは、「うるさいなぁ!」と反発心が先走っていたことを後悔します
親をはじめ、多くの人の好意を無駄にしていたのは、未熟な世間知らずの自分でした
叱られることは、精神的にけっこう「へこむ」ことですが、未来に向けては貴重なことです
ただ、怒られると、その感情に対して防御の感情が発動してしまうのでまだまだ修行が足りません
逆に、自分が指摘する立場になったときは、「怒る」のではなく、「叱る」ことを意識せねばとも思います

感情だけなのか、その奥に理性があるのか
怒るのは自分のためであり、叱るのは相手のためというイメージがあります
ドラえもんはのび太に対して、波平さんはカツオに対して、怒る場面もありますが多くは叱っているように感じます

「言われる」ことから「叱られる」ことに、話がいつものようにずれてきました
反省
また、ご指摘を受けるかな・・・

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