教師の本分 no.280
- 公開日
- 2022/05/17
- 更新日
- 2022/06/09
校長室より
学校では毎日当たり前のように授業が展開されています
1年生の数学科では、「乗法と除法」の学習中です
「正の数と負の数の四則計算をすることができる」ことがこの学習のねらいです
今日は乗法と積の符号のきまりについて、考察し説明できるようになる学習でした
黒板を使って、全体に対して自分の考えを述べています
小グループで互いの意見を伝え合っています
いくつかの計算式について、答えの符号が「+」か「−」か、自分の考えを伝えたり、周りの生徒とでどのように考るかを交流したり、考えを発することでより自分のものにしています
学力の定着には説明する、つまり自分の外へ発信することが頭の中を整理することにつながり効果的であるとされています
ひねくれ者のわたしは、ある式で「答えの符号はマイナスになる」と発言した○○さんに、「なぜ、そうなるのですか?」とこっそり尋ねます
「−が奇数だからです」「−が偶数なら+になります」と答えてくれます
ひねくれ者のわたしは、「それはなぜ??」と重ねて尋ねます
何だか意地悪したみたいになって、○○さん、ごめんなさい
2018年10月1日、京都大学でノーベル生理学・医学賞受賞が決まった京都大学高等研究院特別教授(当時) 本庶 佑 氏の記者会見がありました
このときの一問一答の中で、本庶氏は国の研究費への危機感等に言及していますが、わたしが特に印象に残っているのは次の問答です
「研究で心がけていること、大切にしていることは何か?」と問う記者に対して、次のように答えます
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2つあります
ひとつは、自分が何か知りたいという好奇心であり、もうひとつは、簡単に信じずに自分の頭で納得できるまで考えることです
いつもメディアは、Nature誌やScience誌に出た研究成果をすごいすごいと書きたてますが、10年後にはそのうち9割が嘘だと分かります
残るのは1割で、実際そうなっています
書いてあることをうのみにせずに、自分の目で確信できるまで、自分の頭で納得できるまで考えることが重要だと考えています
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理科教師として、おとなとして、この本庶氏の言葉はインパクトがありました
積の符号のきまり
「+」×「+」→「+」
「+」×「−」→「−」
「−」×「−」→「+」
直感的にこの規則性は分かりますが、「なぜだろう?」という視点を、生徒たちはもてているでしょうか?
「そんなことはどうでもよいから、規則性だけ覚えておけばテストでよい点数がとれる」と、考える人がいます
これは、間違っていません
ただ、将来課題に直面した時、今までのやり方が通用しないことがあります
誰も経験したことのない課題だったらなおさらです
そんな時、「なぜだろう?」と考え、自分の頭で納得できるまで考えた人は、何らかの対応ができるでしょう
そう言えば、発明王と言われたトーマス・エジソンの口癖は「なぜだろう?」だったようです
少年時代、彼は異常なほどの知りたがり屋で、算数の授業で「1+1=2」と教えられても納得できなかったとか
「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土になるのに、なぜ2個なのか?」
このように質問されたら、「そんなことどうでもよいから、覚えればよい!!!」と、おとなは思うかもしれません
今、卒業後の進路として、中学生のほとんどが進学を選びます
それは、入学者選抜学力検査(入試)を経験することを意味します
今のペーパーテストでは、「1+1」がなぜ「2」なのか、主体的・対話的に深く考えるより、「1+1=2」はそんなものだと、「なぜ?」を考えない方が効率よく点数をとることができます
しかし、未来のために身に付けてほしい力は、本庶氏が指摘するようなことなのではないでしょうか
※そして、「なぜ?」を問い続けるということは、生涯「学び続ける」にもつながるでしょう
教師として、このことはとても悩ましいことです
学習指導要領で、学年毎にそれぞれの教科の目標、教える内容が明示されています
決まっていないのは、どのように教えるかです
これが日本の教育における、教師の力量を高めていたものだと思っています
どのように教えるかは教師の工夫と研鑽によるものであり、それが任されているわけです
悩ましいことを含みながらも、教師の本分は教科指導にあると考え、日々精進するのです