第229号 ことば・ことばかけ
- 公開日
- 2022/03/01
- 更新日
- 2022/03/01
校長室より
美術室前に、自画像が掲示されています
一枚一枚観ていると、妙に引き込まれます
校舎内を歩いていて、素通りできませんでした
しばらく一人一人の表情、色彩、濃淡等を感じていると、不思議と出中生を取り巻く「ことば」の環境のことが気になりました
「絵を見て、ことばが気になる」という心理状況が、自分のことながらよく分かりませんが・・・
同じ表現することだからか、環境に影響することだからか・・・
On n'habite pas un pays, on habite une langue.
Une patrie, c'est cela et rien d'autre.
「人は国に住むのではない 一つの言葉(母国語)に住む」
「祖国とはその言葉であり、それ以外ではない」
ルーマニア人の思想家、エミール・シオランの言葉を思い出します
自分の使うことばでしか、人はものごとを理解できないと、彼は言っています
確かに、擬音語や擬態語が、よい例です
雨が降るとき、ザーザー、ポツポツ、シトシトなど、日本語では多くの擬音・擬態語があります
日本人はこれらのことばでいろいろな雨の降り方を、感覚として認識できます
英語には基本的にこのようなことばはありません(あったら教えてください)
雨の降り方は、文章で説明してその降り方を表現しているように思います
※「rain cats and dogs(雨が激しく降る)」という表現もありますが・・・
このような日本語に囲まれている出中生は、日本語の世界で生きます
正しい繊細な日本語の世界で生きるのか、あまり適切とは言えない日本語の世界で生きるのかは、ことばのシャワーの質によると思います
「ことば」「ことばかけ」について、12/22発行のPTA広報「となみ野」vol.142にも短い文章を寄稿しましたが、教職員には「教育のプロとして大切にしましょう」と伝えています
どのような「ことばのシャワー」を浴び続けるかは、子供にとって重要だと教員生活の中で体感してきたからです
以前、別の学校に勤務している時、その学校のPTA広報で紹介した話があります
人一人がやっと通れる細い道を、母親と小学校3年生くらいの女の子が歩いていました
そのとき、反対方向から若い女性が近づいてきます
先を歩いていたお母さんは、さっと脇に寄って、女性が通り過ぎるのを待ちました
女の子も、お母さんをお手本にして、さっと脇に寄って待ちました
若い女性は、その二人の横をお礼を言わず、頭を下げることもなくすり抜けていきました
その後、女の子がお母さんに小声で言いました
「お母さん、あの人、礼儀知らずやねぇ」
さあ、みなさんがこの母親ならば、女の子(我が子)に何と返事しますか?
「世の中にはあのような人もいるのよ」ですか?
「あのような人にならないでね」ですか?
「あなたはちゃんとお礼を言いなさいね」ですか?
「きっと急いでいたのよ」ですか?
「何か考え事をしていたのかもしれないよ」ですか?
わたしが素敵だなと思った、ある方の回答はこれです
「お礼を言われたくて道を譲ったのではないのですよ」
素敵なことばのシャワーを浴び続ける子供たちは、素敵なおとなになるのだと思います
出中生も、ことば・ことばかけについて強く意識できたら、より素敵になると思います