中庭

学校日記 school diary

たそがれ no.831

公開日
2024/09/04
更新日
2024/09/04

校長室より

今朝の空気は、秋を感じさせてくれました


秋の空気感や秋のにおいがわたしは好きです

そして、秋の夕方の日没前から黄昏時にかけての時間帯が好きです


黄昏(たそがれ)

「たそがれ」と言っても、ウェスタリス(架空の国)に所属し、精神科医ロイド・フォージャーに扮する凄腕スパイのコードネームではありません

オペレーション・ストリクスという任務を課された人物のことではないのです

・・・いつも以上に意味不明の冒頭説明がくどすぎますね



万葉集 第10巻2240番

誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾」

 柿本朝臣人麻呂


誰(た)そかれと 我れをな問ひそ

  九月(ながつき)の 露(つゆ)に濡れつつ 君待つ我れを)

「そこに居るのは誰なの?と、わたしに聞かないでください

  9月の 露に濡れながらあなたを待っているわたしのことを」


夕暮れ時になると、暗くなってきて人の顔の識別がつかないようになります

「そこにいるのは誰ですか?」「誰そ彼(誰ですかあなたは)?」と尋ねた時間帯を、「たそかれどき」と呼び、江戸時代になるまでに「たそかれ」となったとか

つまり、「誰彼」の「誰そかれと」が「黄昏」の語源ということです

特に「秋の日は釣瓶落とし」と言われるほど、急に暗くなるように感じられますから、ちょうど秋を感じるこの時期は「黄昏(たそがれ)」という情景がマッチするようにわたしは感じます

まあ、柿本朝臣人麻呂が詠った9月は現在の10月から11月ですから、一層そうなりますね

今日の日没は18時16分頃

その後、人の顔が判別できないほど暗くなった、薄暮の先のイメージでしょうか

今は街灯が整備され、夜でも他の人の表情が見える環境になっていますが、日没直後で雲のない西の空に赤さが残る頃からもっと暗くなる時間帯は、この秋が似合うように感じます


「黄昏時(たそがれどき)」とか、「黄昏れる(たそがれる)」と動詞形もあります

また、比喩として「最盛期は過ぎたが多少は余力があって、滅亡するにはまだ早い状態」を表すことがあり、人生の盛りを過ぎて衰えることと重ねて「黄昏た人」と使われることがあります


ううむ、わたしもその時期に突入かもしれません

なんだか急に寂しくなってきました

これも秋のせいでしょうか・・・


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