学校日記

「変わらないベースがあって、新しいものをつくっていけばいい」  3/9 342号

公開日
2023/03/09
更新日
2023/03/09

校長室

 3日前に報道されたNHK番組「クローズアップ現代」で 桑子真帆キャスターが取材した一部(後編)を紹介します。

 高速道路のインターチェンジと町の中心部、そして海岸を結ぶ一本の道路。「復興シンボル軸」とも呼ばれる、この道路沿いに一軒のガソリンスタンドがありました。
 
 このガソリンスタンドを6年ほど前から経営している吉田知成さん(47歳)は、家族を東京に残し、一人暮らしをしているいわき市から通って町の復興を支えています。

「国道の自由通行に向けた除染工事が始まり、燃料の供給場所が欲しいと相談を受けて、町の支えになれればと思って、先代から引き継いだガソリンスタンドの再開に向けて双葉町に戻ることに決めました。やっぱり、ふるさとを残したいと思って。戻ってきた当初は、町自体の復興計画については具体的に決まっておらず、いつ帰還困難区域が解除されるのか見通しもたっていませんでした。従業員2人とアルバイト3人でも時間を持て余すほどで『もう掃除するところもないな』って話していましたね」

 2017年以降には復興方針も固まり、中間貯蔵施設事業や廃炉事業が加速したことで収益は安定したものの、工事が落ち着いたいまではピーク時の3分の2ほどだといいます。

 避難指示が解除されて住民の帰還が始まってからは、災害公営住宅や自宅を修繕して住み直す人たちから、ガスの点検などの依頼を受けることもかなり増え、微々たる変化ではあるが町に動きが見られるようになったとも話してくれました。

 町の復興について聞いてみると、まだまだだと言いながらも「ふるさと残し」への思いを聞かせてくれました。

 「避難指示が解除されて一歩前進したかもしれないけど、まだまだマイナスの状態でゼロに向かっていかないといけない段階だと思っています。本来、双葉町は海にも山にも囲まれていて、たくさんの自然に囲まれた住みやすい町なんです。町はこうなってしまったけれど、それが変わるかって言ったら変わらないと思うし。変わらないベースがあって、新しいものをつくっていけばいいと思っています」

 いまだ、たくさんの課題を抱える双葉町の復興。困難な状況が続く中でも、12年の年月を経たからこそ生まれた話を聞かせてくれました。

 「9歳の娘が、ようやく自分の父親がいま何をしているのか理解してきたみたいです。最初は、なぜ父親が家にいないのか、どうして帰ってきてもすぐにいなくなるのかがよく分かってなかったと思います。ある程度、双葉町への出入りが自由になってきたときに何回か連れてくるようになったんですけど、町の状況や父親がやっていることがある程度分かるようになって、最近では私の姉が双葉町でやっている飲食店で手伝いをしたいと事あるごとに言ってくれますね」
 
 一度は誰もいなくなり、本格的な復興の一歩を踏み出したばかりの町に、震災を直接知らない娘が関心を持ってくれていることを照れくさそうに話す知成さんの表情がとても印象的でした。

 震災から12年たって、ようやく始まった双葉町の復興。町に思いを寄せる人々は、どうやってふるさとを残そうかと懸命に奮闘しておられる姿が印象的でした。ほとんどの住民が町を離れ、戻ってくる住民が僅かながら、それでも決して諦めることなく一歩ずつ前進しておられる知成さんの姿に感銘しました。

 私事で恐縮ですが、今週になって毎日近所の独居老人宅からお礼の品が届いています。そんなつもりはないのに。実は、冬場に大型除雪車で家の前に置かれた固い雪をトラクターを使って除雪したお礼のようです。温かい日が続いて外出しやすくなったから今週のようです。私は、幼少期の登下校時に農作業をしておられる近所の方にいつも声掛けをしていただいた事に対する僅かな恩返しのつもりなのに・・。

みんながわくわくする学校を「自分から」