感謝しかない(元 オリックス田口壮選手)!? 1/18 308号
- 公開日
- 2023/01/18
- 更新日
- 2023/01/18
校長室
昨日、当時神戸市を本拠地としていたプロ野球 オリックスの選手やスタッフが、阪神・淡路大震災の犠牲者に黙とうをささげられたそうです。オリックスは、震災があった平成7年、被災地 神戸を勇気づけようと、「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝を果たし、復興の象徴的な存在のひとつになりました。震災から28年となった昨日は、大阪 此花区の球団のグラウンドで、当時オリックスで現役選手だった福良淳一ゼネラルマネージャーや田口壮 外野守備・走塁コーチ、それに宮城大弥投手など、およそ100人が、正午から1分間、神戸の方角を向いて、犠牲者に黙とうをささげられました。
震災当時、主力選手の1人だった田口コーチは、「当時の揺れや光景などは忘れることはない。震災を経験していない若い選手たちには備えや知識を持ってもらいたい」と話されました。また、奈良県出身でドラフト1位で新たに入団した曽谷龍平投手は、「震災で多くの方が大変な思いをしたことを知っている。災害などで野球をしたくてもできない人がいると思うので、野球ができることに感謝し、野球を通して勇気や感動を与えられるようにしたい」と話しておられました。
私は、1995年8月12日いつものように全国高校野球選手権大会を観戦するために甲子園球場へ向かいました。当時は、阪神高速道路が倒壊したためJRを利用しました。阪神高速道路は、甲子園球場の真横です。巨大な高速道路が倒れていた光景が未だに忘れられません。当時の阪神高速道路の橋脚は一本足でした。それが同じ方向に遥かかなたまで倒されていました。何年か後に修復された阪神高速道路は二本足に変更されていました。おそらく耐震対策だと思います。
また、プロ野球では仰木監督率いるオリックスが、左袖に「がんばろうKOBE」と記し日本一になったのを覚えています。そのときの中心が田口選手でした。また、当時の本拠地は、山間地に造成したグリーンスタジアム神戸でした。中学生の修学旅行の引率で出かけたのを覚えています。犠牲になられた皆様のご冥福をお祈りします。