学校日記

とにかく水がなかった!  2/5 517号

公開日
2024/02/05
更新日
2024/02/05

校長室

 能登半島地震の発生後に輪島朝市の火災は、南西側から次々に燃え広がったとみられ、約5万平方メートルを焼き尽くしました。当時消火活動に当たった証言を昨日の富山新聞が紹介していました。私も教頭時代に数年間地元消防団に入団しており、今回の大火がなぜ起こったのかとても気がかりでした。

 輪島分団長の細畑竜幸(59)さんは、震災発生後高台に避難していました。高台から炎が見えたのは地震発生後約80分後の5時半頃です。地震直後の発生であれば、住民たちがいて「初期消火できた」と分団員たちはみています。避難して無人となった街では初期の段階で発見、通報が出来ませんでした。「とにかく水がなかった」消火活動に携わった団員は、口を揃えておられます。

 河原田川の脇にある「あさいち交番」近くに、輪島分団の車両のうち1台を横付けしました。消防署の車両2台が既に川に給水管を入れていました。ホースから少し水は出ましたが、泥水に変わり、最後は泥が出ました。「長く団員をしているが、泥が出たのは初めてだった」

 市中心部の鳳至町にある輪島分団車庫はシャッターが開かず入れなかったが、川端さんは窓ガラスを破って車両を出しました。いろは橋は車両が渡れず、河原田川左岸に横付けしました。水はあるように見えましたが、ホースから出ませんでした。

 交番にいた分団車は河口近くにある河原田川右岸のみなと橋へ車両を移したが、やはり水は出ませんでした。密集した住宅地に入り、防火水槽を使用。水がなくなると、河原田小学校プールから取水することになりました。

 輪島市では火防用水はなく、消火栓と防火水槽、河川、プールの水で火を消します。消火栓は水源が水道水と同じで、水が出ませんでした。通常なら輪島市中心部で大規模な火災があれば、管轄の輪島分団への応援として、河原田、大屋、三井、南志見、町野、西保に加え、門前の各分団が駆け付けたとみられます。今回の火災で現場にいた分団車は計3台のみ、消防ポンプ車は4台のみの出動でした。(途中略)

 地震に伴う火災の恐ろしさを思い知らされる記事でした。被災された皆さんにお悔やみ、お見舞いを申し上げるのみです。

みんながわくわくする学校を「自分から」