G7首脳に平和の折り鶴? 5/23 383号
- 公開日
- 2023/05/23
- 更新日
- 2023/05/23
校長室
広島で被爆して12歳で亡くなり、平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんが残した折り鶴のレプリカ(複製品)が、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)で各国首脳に配られたニュースが入ってきました。
複製品は重さ約1グラムのステンレス製で「G7 HiROSHIMA」の刻印入り。首脳らが芳名帳に記帳した机上に置き、持ち帰ってもらったようです。複製品は禎子さんが亡くなった際に枕元にあった1羽を、広島県福山市の金属部品メーカー「キャステム」が、最新技術で折り目やシワまで忠実に再現したものです。佐作禎子さんは、2歳だった1945年8月6日、爆心地から約1.6kmの自宅で兄雅弘さん(81)らと共に原爆に遭われました。1955年2月に白血病で入院。病床で家族に治療費や薬代の負担をかけないよう苦痛に耐え、回復を願い千羽鶴を折り続けたそうです。しかし、同年10月に、「家族に有難う」と言い残し亡くなられました。
首脳らは原爆資料館を訪問した19日、岸田文雄首相や湯崎英彦広島県知事から、禎子さんと折り鶴を巡る物語の説明を受けられました。また、雅弘さんの次男祐滋さんは、サミット期間中にあった首脳の配偶者を対象とした行事で、禎子さんの残した折り鶴の実物を紹介したそうです。
そして、祐滋さんは、「平和を創る為に必要な事って?」の問いに対して次のようにコメントしておられます。
それは折り鶴に込められた禎子の想いに答えがあると思います。 自分はもう長くは生きられないと覚悟した禎子は、残される家族の幸せを願いました。 そして、争いによってこんなに辛い思いをするのは私で最後にしてほしいとも願いました。この自分を差し置いて相手を想いやる心こそが世界を救うと信じています。 この度、禎子が遺した「想いやりの心」まで忠実に甦らせて頂いた「SADAKO」を通じて、未来永劫平和を伝え続けていきたいと思います。
この折り鶴に込められた禎子さんの想いが、現在も戦争や紛争が続く世界の隅々までに届くことを願わずにはいられません。