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事実とは何かを no.895
- 公開日
- 2024/12/11
- 更新日
- 2024/12/11
校長室より
言葉の意味をよく考えてみると、知っていると思っている言葉の意味も、とても難しいです
道徳科の授業で、「家族愛」や「友情」や「思いやり」等について考えるとき、人それぞれの価値観や経験でその捉え方が違うことがとても興味深いです
さて、「事実」とは何でしょうか?
毎日、報道される世の中で起きたこと
それは事実というけれど、事実とは何でしょうか?
「ことの真実。真実のことがら。本当にあったことがら。」
「ラテン語でfactum、フランス語でfait、英語でfact」
「哲学用語として、もともとは神によってなされたことを意味し、時間と空間の中に見出される実存的な出来事や存在のこと」
等と、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」に書かれています
ううむ、分かったようで分かりません
「事実と真実は違う」という言葉に出合うこともあります
身の回りの出来事も、何が本当で何が嘘なのか混沌としているようにも感じます
このような時代を生きる出中生が、今、身に付けておけばよい力、鍛えておけばよい力は何でしょう
文部科学省を中心に言われている学校で見に付ける様々な力はまさしくそれなのですが、それは基本(ベース)であってすべてではないとも感じます
出中生自身も、自分にとってのそれは何かを考えてほしいと、いつも思っています
昨夜、ノーベル平和賞の授賞式が10日、ノルウェーのオスロ市庁舎で行われました
そこには、被爆者の立場から核兵器廃絶を国内外に訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の姿があり、日本被団協 代表委員の田中 熙巳 氏(92)がステージで演説されています
長いのですが、その全文をここに紹介(転載)します
生々しい表現も使われますから、刺激に弱い人は留意ください
以下、日本被団協代表委員 田中 熙巳 氏の言葉国王・王妃両陛下、皇太子・皇太子妃両殿下、ノルウェー・ノーベル委員会のみなさん、ご列席のみなさん、核兵器廃絶をめざしてたたかう世界の友人のみなさん、ただいまご紹介いただきました日本被団協の代表委員の一人の田中熙巳でございます。本日は受賞者「日本被団協」を代表してあいさつをする機会を頂きありがとうございます。私たちは1956年8月に「原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」を結成しました。生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害をふたたび繰り返すことのないようにと、二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張に抗(あらが)い、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動です。この運動は「核のタブー」の形成に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。しかし、今日、依然として1万2000発の核弾頭が地球上に存在し、4000発が即座に発射可能に配備がされているなかで、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザ地区に対しイスラエルが執拗(しつよう)な攻撃を続ける中で核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が崩されようとしていることに限りない口惜しさと怒りを覚えます。私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました。1945年8月9日、爆撃機1機の爆音が突然聞こえるとまもなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕(きょうがく)し2階から階下にかけおりました。目と耳をふさいで伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けて行きました。その後の記憶はなく、気がついた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。ガラスが一枚も割れていなかったのは奇跡というほかありません。ほぼ無傷で助かりました。長崎原爆の惨状をつぶさに見たのは3日後、爆心地帯に住んでいた二人の伯母の家族の安否を尋ねて訪れた時です。わたしと母は小高い山を迂回(うかい)し、峠にたどり着き、眼下を見下ろして愕然(がくぜん)としました。3キロ余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃墟(はいきょ)が広がっていました。煉瓦(れんが)造りで東洋一を誇った大きな教会・浦上天主堂は崩れ落ち、みるかげもありませんでした。麓(ふもと)に降りていく道筋の家はすべて焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらもなお生きているのに、誰からの救援もなく放置されている沢山の人々。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした。一人の伯母は爆心地から400メートルの自宅の焼け跡に大学生の孫の遺体とともに黒焦げの姿で転がっていました。もう一人の伯母の家は倒壊し、木材の山になっていました。祖父は全身大やけどで瀕死(ひんし)の状態でしゃがんでいました。伯母は大やけどを負い私たちの着く直前に亡くなっていて、私たちの手で荼毘(だび)にふしました。ほとんど無傷だった伯父は救援を求めてその場を離れていましたが、救援先で倒れ、高熱で1週間ほど苦しみ亡くなったそうです。一発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪ったのです。その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと、強く感じました。長崎原爆は上空600メートルで爆発。放出したエネルギーの50%は衝撃波として家屋を押しつぶし、35%は熱線として屋外の人々に大やけどを負わせ、倒壊した家屋のいたるところで発火しました。多くの人が家屋に押しつぶされ焼き殺されました。残りの15%は中性子線やγ線などの放射線として人体を貫き内部から破壊し、死に至らせ、また原爆症の原因を作りました。その年の末までの広島、長崎両市の死亡者の数は、広島14万人前後、長崎7万人前後とされています。原爆を被爆しけがを負い、放射線に被ばくし生存していた人は40万人あまりと推定されます。生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、被爆後の十年余を孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けました。1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、日本の漁船が「死の灰」に被ばくする事件が起きました。中でも第五福竜丸の乗組員23人全員が被ばくして急性放射能症を発症、捕獲したマグロは廃棄されました。この事件が契機となって、原水爆実験禁止、原水爆反対運動が始まり、燎原(りょうげん)の火のように日本中に広がったのです。3000万を超える署名に結実し、1955年8月「原水爆禁止世界大会」が広島で開かれ、翌年第2回大会が長崎で開かれました。この運動に励まされ、大会に参加した原爆被害者によって1956年8月10日「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が結成されました。結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」との決意を表明し、「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて運動に立ち上がったのです。運動の結果、1957年に「原子爆弾被爆者の医療に関する法律」が制定されます。しかし、その内容は、「被爆者健康手帳」を交付し、無料で健康診断を実施するほかは、厚生大臣が原爆症と認定した疾病に限りその医療費を支給するというささやかなものでした。1968年「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」が制定され、数種類の手当を給付するようになりました。しかしそれは社会保障制度であって、国家補償は拒まれたままでした。1985年、日本被団協は「原爆被害者調査」を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態がありました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなり、自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くしました。1994年12月、2法を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。これらの法律は、長い間、国籍に関わらず海外在住の原爆被害者に対し、適応されていませんでした。日本で被爆して母国に帰った韓国の被爆者や、戦後アメリカ、ブラジル、メキシコ、カナダなどに移住した多くの被爆者は、被爆者特有の病気を抱えながら原爆被害への無理解に苦しみました。それぞれの国で結成された原爆被害者の会と私たちは連帯し、ある時は裁判で、あるときは共同行動などを通して訴え、国内とほぼ同様の援護が行われるようになりました。私たちは、核兵器のすみやかな廃絶を求めて、自国政府や核兵器保有国ほか諸国に要請運動を進めてきました。1977年国連NGOの主催で「被爆の実相と被爆者の実情」に関する国際シンポジウムが日本で開催され、原爆が人間に与える被害の実相を明らかにしました。このころ、ヨーロッパに核戦争の危機が高まり、各国で数十万人の大集会が開催され、これら集会での証言の依頼などもつづきました。1978年と1982年にニューヨーク国連本部で開かれた国連軍縮特別総会には、日本被団協の代表がそれぞれ40人近く参加し、総会議場での演説のほか、証言活動を展開しました。核兵器不拡散条約の再検討会議とその準備委員会で、日本被団協代表は発言機会を確保し、あわせて再検討会議の期間に、国連本部総会議場ロビーで原爆展を開き、大きな成果を上げました。2012年、NPT(核拡散防止条約)再検討会議準備委員会でノルウェー政府が「核兵器の人道的影響に関する会議」の開催を提案し、2013年から3回にわたる会議で原爆被害者の証言が重く受けとめられ「核兵器禁止条約交渉会議」に発展しました。2016年4月、日本被団協が提案し世界の原爆被害者が呼びかけた「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出しました。2017年7月7日に122カ国の賛同をえて「核兵器禁止条約」が制定されたことは大きな喜びです。さて、核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しています。一つ大きな参考になるものがあります。それは、日本被団協と密接に協力して被団協運動の記録や被爆者の証言、各地の被団協の活動記録などの保存に努めてきた「NPO法人・ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の存在です。この会は結成されてから15年近く、粘り強く活動を進めて、被爆者たちの草の根の運動、証言や各地の被爆者団体の運動の記録などをアーカイブスとして保存、管理してきました。これらを外に向かって活用する運動に大きく踏み出されることを期待します。私はこの会が行動を含んだ、実相の普及に全力を傾注する組織になってもらえるのではないかと期待しています。国内にとどまらず国際的な活動を大きく展開してくださることを強く願っています。世界中のみなさん、「核兵器禁止条約」のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の策定を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験者の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。人類が核兵器で自滅することのないように!!核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!ⓒノーベル財団、ストックホルム、2024年途中の、「想像してみてください」という言葉が強くわたしの耳に残っていますジョン・レノン氏の代表曲「イマジン」を連想しました高齢になられている日本被団協の方々のエネルギー溢れる言動を目の当たりにし、このような課題だけでなく身の回りのことすべてにおいて、「自分は何ができるのか」の視点は重要だと改めて感じます誰かのせいにしているだけでなく、課題解決に向けて前進する方法は何かを、本気・根気・勇気で探し続け、行動し続けておられる皆さんが、今後も元気でいてくださることを祈ります修学旅行でお世話になった広島や長崎の被爆者やガイドさん方のことを思い浮かべつつ、田中さんの言葉をかみしめました -
朝 no.894
- 公開日
- 2024/12/10
- 更新日
- 2024/12/10
校長室より
朝
夜と昼の狭間の時間
キンと冷えた空気が肌を刺す
緩んだ心を見透かされているようで、胸も刺されている心持ち・・・
それにしても、出町中学校の校舎窓から見える日の出前の空は、写真に写らない美しさを感じる
玄関が解錠され今日も出中生が登校してくる
廊下から「おはようございます」の声が重なって聞こえる
いつもの朝の始まり
しばらくして生徒会会長、副会長が校長室を訪ね、生徒会活動についての話をしてくれた
わたしにとって前向きに進もうとする出中生との時間は刺激的であり、うれしいものだ
いろいろと立て込んでキャパオーバー気味の日が続いているが、出中生のおかげで「がんばらねば」とからだの奥からエネルギーが湧いてくる気がする
この朝の青空はいつまで続くのだろうか・・・
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体験と言葉 no.893
- 公開日
- 2024/12/06
- 更新日
- 2024/12/06
校長室より
1年生のある学級で、総合的な学習の時間に高齢者疑似体験を行っています
砺波市社会福祉協議会から7名もの方に来校いただき、授業に参加した学級の生徒が器具を装着して実際に廊下を歩くなどの体験を行いました
体験することで学ぶことは多いです
それは五感を使ってより多くの情報をキャッチするからでしょう
もしかしたらこの経験で学んだことは意識されていないレベルのものもあるかもしれません
気付かぬうちにこの体験での学びが自分の中に記憶され、何か未来の自分の判断基準になるかもしれません
体験活動を行うときには、わたしはいつもそのように感じています
日常の授業において、まとめの時間に今回の学びの確認を言葉で表す時間をとります
これは多くの学びを自覚するためでもあり、また、気付かない自分の学びを意識することにもなると考えます
言葉を使って言語化することは、人間としてとても大切なことだと思うのです
多くの方に協力いただいた今回の貴重な体験も、ふりかえりで言語化することで生徒たちの中に今日の学びが意識化されることでしょう
ワイワイと体験活動に取り組む様子を観てそんなことを思いながら校長室へ戻ると、1年生の別の学級の生徒が4名「失礼します」とやってきました
これも総合的な学習の時間の一環での活動なのであり、その内容はわたしへの協力要請でした
詳細は控えますが、ぜひ協力してほしいと
出中生にお願いされて断れましょうか・・・
いじわるにも「あなたならどうするの?」と○○さんに尋ねると、「自分なら断るかも」と答えてくれたことが、なんとも正直者だなぁと感じられ、その純粋さに心がやられました
○○さんの言葉の力とも言えますかねぇ
というわけで、学級を代表しての4名のお願いを了承しましたが、果たしてどうなることやら
自分の協力がかえってみんなの邪魔にならないことを祈っています
そう言えば社会福祉協議会の7名の講師の方々をお迎えした3名の生徒の言動も一生懸命さが伝わってきて、わたしはとてもうれしかったです
言葉も行動も、毎日の学びの積み重ねでどんどん磨かれていきます
3名の生徒にとってもプラスの体験になっていたとしたらうれしいです
今日も出中生はがんばっていますな
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出中生 no.892
- 公開日
- 2024/12/05
- 更新日
- 2024/12/06
校長室より
今朝の受賞報告で、3名の出中生が校長室を来訪しました
トップページの受賞報告が紹介した通り、「第25回宇野雪村賞全国書道展 学生の部」で新温泉町長賞をいただいた3年生1名と「中学生の税についての作文(全国納税貯蓄組合連合会及び国税庁)」で優秀賞をいただいた1年生2名です
どちらも体育面ではなく文化面での表彰であり、部活動ではありません
文武両道と言えば簡単ですが、出中生はいろいろな場所でその才能を開花させています
※書道の受賞は、学生の部ですから、高校生、中学生の作品の中からの選出です
この3名のことは全体の一部であり、また、受賞という形ではない活躍をしている出中生もたくさんいます
昨日の落ち葉清掃のボランティア活動もそうです
地域交流委員会委員長が3年生に呼びかけ、それに応じた出中生が清掃しました
なんともうれしい姿だと、わたしは思っています
以前、「学校HPは特定の生徒しか掲載されていない」という声が届きました
そのような意図は全くないのですが、そのように感じさせていたとすれば申し訳なかったですし、残念でした
学校HPでは、多くの出中生の目立たない活躍の様子も紹介できればと思っています
なかなか、とっさに撮影できないことも多いですが、出中生に負けず、本気・根気・元気にやっていきます
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お天気 no.891
- 公開日
- 2024/12/04
- 更新日
- 2024/12/05
校長室より
+1
昨日あたりから冬の空が広がり、どうも心が空の色と同化しそうで、ちょっぴりやられています
病は気からとはよく言ったもので、体調もすぐれず何ともその自分の弱さにがっかりしてもいます
今朝も空は雲で覆われています
気象状況を確認すると、tenki.jpのHPでは北陸地方に傘マークがあり、その他の地域は太陽マークが・・・
砺波市と東京都千代田区の週間天気予報を見ると、これまたはっきりと違う状況です
今までずっと生活してきた富山県での生活で慣れているとはいえ、歳を重ねるごとにその違いを羨んでいます
ただ、この天気の中、先日2日のように青空と雪景色の風景を観られる幸せも感じます
真冬の雪が降る日でも、さっと晴れ間が出て、雪面がキラキラ光る風景が好きです
こんな体験は東京ではできません
変えられることと変えられないこと
人はその部分をよく理解して今まで生きてきているのだと思います
数学で学習する「Y=aX+b」
aやbは定数でXやYは変数であり、aもbも変えられないことが大前提であり、人生にも似たようなことがあるのです
今週末は平地でも雪マークが付きました
出中生は登下校を含めて雪道での交通安全に留意しましょう
そして、おとなも同様です
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備えよ常に no.890
- 公開日
- 2024/12/02
- 更新日
- 2024/12/02
校長室より
+1
本日、今年度2回目の避難訓練を実施しました
前回と違い、やや応用編です
授業時間外の訓練
地震発生後に火災発生想定の訓練
煙が発生する本番に似せた環境での訓練
そして、煙感知によるシャッターが下りる中での訓練
出中生は静かに整然と行動し、点呼も円滑に行われました
消防署や消防設備会社からもサポートで来校いただき、特に署長様からは避難訓練の講評と、けが人等の搬送の仕方についての指導をしてもらいました
ないことに越したことはないですが、1月の能登半島地震や、先日の能登西方沖地震など、何が起こるか分かりません
「災害は忘れた頃にやってくる」のです
そのために、「そなえよ、つねに」なのです
Be Prepared 「備えよ、常に」は、ボーイスカウト以上のスカウトと指導者のモットーとして有名です
スカウトはいつも心にも体にも、技にもすきのないよう、どんなことにでも応じることができる心構えをもって「さあこい、準備はできている」ということを意味します
そのため、スカウト技能がどんなことでも役立つよう、準備のために日頃から訓練をしておきます
そしてまた、将来社会に出ても、よい公民としての準備が整った人物になるために、スカウト教育を身につけるという意味をもっていると、日本ボーイスカウト連盟山口県連盟のホームページにありました
かつて、所属していたので、いまだに「そなえよ、つねに」が、わたしの心の中にあります
それにしても煙が廊下に充満するその速さはなかなかでした
また防火シャッターが下りた階段エリアは暗く、そして、通行できる扉の重さはなかなかであり、やはり何事も実際に近い形で体験することも大切だと再確認できました
よりよい避難の在り方について、本日の講評や出中生のふりかえりを参考にしつつ、教職員で検討・見直しをはかります
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夢を追う no.889
- 公開日
- 2024/11/29
- 更新日
- 2024/11/29
校長室より
第1学年のキャリアリーダーたちが準備・運営してくれた「生き方講演会」が本日開催されました
富山県出身のパラ・アスリートであり、モデルである、河合 紫乃 先生をお招きし、これまでの経験やこれからの夢について、直接お話を聴きました
講演会前に一緒に給食を食べたり、講演会後に部活動に参加していただいたりと、出中生とたくさん触れ合ってもいただきました
わたしも校長室で、直接たくさんのお話を聴かせてもらいました
一番印象に残ったのは、「障害をもつこととなり様々な想いを抱えた月日を送った後、前向きに人生を歩き出せるようになった瞬間、自分は生まれ変わった」というお話です
わたしの想像を絶する経験をしてこられたのだなと推察しました
今は次の2028年 ロサンゼルス パラリンピックでのメダル獲得を目指すと語られます
その表情は明るく、そしてその瞳の奥には強い意志を感じます
本日は、もうすぐ夢へと続く大切な大会を控えておられる中であるにも関わらず来校され、出中生のために貴重なお話をしていただきました
申し訳ないやら、ありがたいやら・・・
出中生と一緒に、わたしも応援し続けたいと思います
河合先生、誠にありがとうございました
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歯科検診 no.888
- 公開日
- 2024/11/28
- 更新日
- 2024/11/28
校長室より
本日、学校歯科医さんに来校いただき、1年生の歯科検診がありました
その姿を見ながら、コトバの意味を考えます
けん‐しん【検診】[名](スル)
ある特定の病気にかかっているかどうかを調べるために診察・検査などを行うこと。「定期的に—する」「集団—」「歯科—」「癌 (がん) —」
類語:診察(しんさつ) 診断(しんだん) 見立て(みたて)
関連語:受診(じゅしん)
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「定期的に—する」とくれば、「テスト」を連想します
テスト【test】 [名](スル)
1 学力・能力などの状態や度合いを試すこと。試験。検査。「仕事の適性を—する」「知能—」「ペーパー—」
2 事物の良否・性能などを試して調べること。試験。実験。「ブレーキを—する」「—放送」「—飛行」
類語:試験(しけん) 試問(しもん) 考査(こうさ)
関連語:受験(じゅけん)
出典:デジタル大辞泉(小学館)
「検査」もチェックします
けん‐さ【検査】[名](スル)
ある基準をもとに、異状の有無、適不適などを調べること。「所持品を—する」「適性—」
類語:点検(てんけん) 検閲(けんえつ)
関連語:検定(けんてい)
出典:デジタル大辞泉(小学館)
2017年頃から、急に品質不正やデータ改ざんの話題を目や耳にするようになった気がします
不正や改ざんは信頼を失うこととなり、ものづくりを大切にする日本において由々しき事態です
信頼を得るための根拠として存在していたはずのチェックが、より一層信頼をなくすものになるとは・・・
先日出中生も受けた期末考査は、「1 学力・能力などの状態や度合いを試すこと。」であり、今の自分の学力を測る(チェックする)一つの物差しです(※あくまでも学力評価の一部です)
本日1年生が受けている歯科検診は、今の自分の歯の健康状況をプロフェッショナルであるお医者さんにチェックしてもらっているものです
期末考査も歯科検診も共通するのはその結果を、未来の自分のためにどうすることがよいのかを考えて、実行することこそが大切だということでしょうか
学力であればうっかりミスや、時間切れで解答できなかったために今の実力を発揮できなかったと考えることもあるかもしれませんが、歯科検診の場合は要治療の結果が出れば、なるべく早く治療することが大切です
切り傷とは違い、自然治癒はしないのです(※違っていたら教えてください)
もうすぐ11月が終了し、12月に突入
そして、冬休みに入ります
歯科検診で要治療の人には、ぜひ時間を見つけて早急に治療しましょう
健康第一です
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再来 no.887
- 公開日
- 2024/11/27
- 更新日
- 2024/11/27
校長室より
+1
昨夜の午後10時47分頃
揺れを感じた直後にスマートフォンのアラームが鳴り、その直後に「ガタガタ」「ユサユサ」と結構長く感じる揺れを感じました
揺れがおさまると同時に、家の中を見ましたが、特に何かが落ちるなどのことはありませんでした
そして、テレビやネットで情報を見続けることとなります
また、震度1の余震を感じ続ける夜となります
そして、出中生やその関係者、自身の関係者等に何事もなかったことを祈る夜です
自宅付近は震度4、砺波市は震度3でしたから、出町中学校は大丈夫だろうと思いましたが、今朝は早めに出勤し校舎内をまわり状況を確認しました
1月の能登半島地震のときのようにものが落ちるとか、机やいすが動いていることはありませんでした
今は、少しホッとしていますが、出中生やその関係者に何事もないことを祈り続けます
県内で震度4以上の揺れを観測するのは1月6日以来であり、気象庁は今回の地震を「令和6年能登半島地震」の一連の地震活動と推定しています
また、気象庁は揺れが強かった地域では落石や崖崩れなどに注意するほか、1週間程度(特に今後2~3日の間)は最大震度5弱程度の地震に注意するよう呼びかけていますから、このあたりでも震度2~3程度の地震が起こるかもしれません
富山県内では「ほとんどの人が揺れを感じる」長周期地震動階級1を観測しています
地震発生に対して何ができるかは悩ましいところですが、とにかく命を守る行動をとることです
自然災害に限らず、危機管理のイメージトレーニングは欠かせません
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読書ノススメ no.886
- 公開日
- 2024/11/26
- 更新日
- 2024/11/26
校長室より
+2
朝登校してきた出中生が図書室前で足を止めている光景が・・・
近付いてみると、後期図書委員会の企画「出中生POPコンテスト」に向けたPR掲示でした
この企画の目的は、出中生に図書案内のPOPを描いてもらい、読書への関心を高めることと、出中生制作のPOPを見ることで新たな本と出合うこととのこと
本日の朝の会で案内と配布が為され、12月10日が締め切りとなっています
出中生の主体的な活動であり、多くの学びのある有意義な取組です
ちなみに、POPで紹介する図書は図書室にある本
図書室内には既に学校司書によるPOPがありますから大いに参考になるでしょうし、図書室にはわたしの棚もありますから、誰かその中の図書を紹介してくれる人はいるのでしょうか?
と、このようなことを考えるのがわたしの邪な心ですな
反省・・・
現在、わたしの本棚にひとつスペースがあります
誰かが借りてくれたようで、なんだかうれしいわたしです
学校日記 school diaryメニュー